一度聞いてみようよ

 先日、少し聞きたいことがあってマイナンバーの窓口に行った。何気に窓口を見ていると日本語以外にC国語、K国語の説明がデカデカと書いてある。待てよ?マイナンバーってのは日本人である証明書なのでないか。日本語の読み書きもできないような者にも発行されるのか?家に帰って妻に言うと彼女も憤慨していた。
 この国が変な方向に直走っていく危機感は随所にあるがこれも「ちょっと待てよ」と言いたいことの一つである。常時滞在しているV国人やC国人がちょっとした地方都市の人口より多いのである。もし我が国に未曾有の災害が起きた場合、彼らの国が自国民保護の名目で入ってきたらどうする。彼らが用が済んだら素直に引き上げるだろうか?
 私の気持ちとしては腑におさまらないが、我が国の少子化対策に仕方がないと言う人もいる。人件費を安く上げるめに外国人労働力を輸入するという不謹慎な流れもあったが、結局日本人の賃金も上がらないと言う副作用を残しただけだった。そのまま不法滞在の外国人が各地で生活習慣の違いで摩擦を起こしたり、公的機関で我々の血税をいとも容易く吸い尽くしている。中には人権問題だと擁護する日本人もいる
 そろそろこの在日外国人への姿勢はこれをテーマに民意を問う選挙を一度やるべきだと思う。なし崩し的に常態化・既成事実化されるのはいやだ

正義は巨悪への水鉄砲か

先日、ミャンマーとタイ国境付近で大掛かりな詐欺団地の手入れがあったとのニュースを見ていた。まさに劇画の世界のような出来事であった。普通、ここまでのインフラを運用できていたならそこらの権力や治安組織とは持ちつ持たれつの関係と邪推する。今回、現地の政府もおそらく何かの事情で取り締まりをやらざるを得なくなったのであろう。大掛かりなグループが入居しているビルが立ち並んでいる様はまるでシリコンバレーのようであった。悪党が運営している反社会的な存在ということを除けば、国際企業としてのリクルート体制も堅固であり戦略はシンプルで躊躇がない。組織のヒエラルキーもしっかりしており成果目標も明確、業務マニュアルも整備されている。何が言いたいかと言えば私が知っている日本のどの企業よりも強固な組織である。我々、ひ弱な一般人はこんな組織に攻撃され続けているのだ。毎日、呆れるほどの詐欺メール。正体不明の国際電話、これからの攻撃に対して我らの治安組織は「詐欺メールに注意ください」「彼らはこんなにも巧妙な手口を使っています」との注意喚起ばかりである。本邦でも一度でいいから大掛かりな組織を一網打尽にして、ネット詐欺が割に合わないことを知らしめてもらいたいものだ。多くの善良な人間は被害者にならないまでも膨大な時間と神経をすり減らして自己防衛をしているのだ。

老人界

 リタイアしてしばらくは現役界の余韻があり、また後輩たちとの交流もあり違和感はなかったがしばらくすると自分が別世界へ来たことを痛感する。 全ての所属や肩書き無くなる。たまに現役世代の人から名刺をもらうがお返しするものがない。街で買い物をしたり飲食するが対応してくれる人は名前よりは「老人」と言う括りが先にくる。先日、開店したばかりの飲食店で「ここでの注文はタブレットでしていただく方式なんですが」と心配してくれる。65歳の誕生日がやってきた時、地域の福祉委員さんが「私があなたの係です。お困りのことはありませんか?」と親切に聞いてくれる。70歳を過ぎると医療費が安くなった。電車で初めて高校生から席を譲られた。その衝撃にその親切な若者にすぐにお礼が言えなかった。すまない。同級生からの音信も遠くなる。交友関係も櫛の歯が抜けるように減っていく。もちろん異性を意識する場には縁遠くなるが、だいたい現役界の性別と違い老人界でのオスメスは形態の違いでしかない。やがて予定表には病院の検診日と町内の用事しかなくなる。わずかな外界との接点である昼間のスポーツジムで元気な同輩先輩と交流できる。ここではほとんど「老人界」一色になり固有名詞で呼んでもらえる。話題は当たり障りのない話ばかり。病気の報告や行楽の報告はよく飛び交うが、過去の自慢や家族の自慢話はここではあまり聞くことはない。この歳になると上には上があることを知っている人たちが多い。ある意味、ここはレベルが高い。
 別に歳をとることを嘆いているわけでもない。気がついたことを感じたままに書いてみた。老人界は現役界と冥界とを繋ぐ「渡り廊下」のようなものだ。ゆっくりとその景色を楽しみながら歩けたらいいなと思う。

死にたくない

若い頃、仕事上の先輩が「金と鼻くそはたまればたまるほど汚くなる」といつも言っていた。金が貯まったことがない私は意味が分からなかったが、老後の資金を意識し小銭を数える歳になったら、お金に執着するようになった。
 それと話が違うかも知れないが、若い時に消化器系の病気で緊急入院したことがあった。6人部屋では色んな世代の人がいたが、元気の良い?中年の男性が「もしいい歳になってがんになったら死んだ方がいい」と言うと、隣のベッドの100歳になる癌で入院のご老人が「いくつになっても、もう死んでもいいとか思わないものだよ」とたしなめられた。ご両人より若かった私はそういうものかと聞いていた。
 それからも病気をするたびにご老人の言葉を思い出すが、ふと思えば若い時の方が簡単に「死ぬ」という言葉を吐いていたなぁと思う。歳を取れば取るほど命に対する執着が強くなるのを感じる。もう「お迎えが来てもいい」などの老人の言葉は信じない。この歳まで生きて来れたから「もう死んでもいい」とはけっして思わない。

カレンダーについての四方山ばなし

今回の年末年始はカレンダーが少なかった
いや、足りなかった訳ではない。本当に必要な数はあったし自分の好みのカレンダーはちゃんと買った。今までは沢山貰えたから、そう感じただけだ。いつもはかける場所を探すくらい沢山頂いていた。高価な名画やセンスの良い置き物など無い我が家にとっては、カレンダーはそれなりに壁の装飾にもなっていた。結果、狭い家に4、5カ所もカレンダーが下がっている。その上、正月明けともなると使わなかった幾つは捨てていた。もったいないことだ。
 妻はスケジュール管理としてカレンダーを用いているようだが、私は手帳からスマホに移った。それでもカレンダーを見ながら夫婦で予定を話し合ったりする。それがカレンダーの本来の機能なんだろう。現役時代なら今日が「何日」で「何曜日」なんかは体が覚えていたものだが、今はカレンダーで確認することが多い。子供頃(昭和30年代)、私の生家には年末には来年の大きな日めくりの「暦」が柱にかけられた。家族みんながそのカレンダーで行動をしていた気がする。あの頃は1ヶ月を俯瞰してみる必要は無かったのだろうか?思い出せないが貧しくても家族が家族らしくあったような気がする。
 いつの間にかカレンダーや手帳が年末の挨拶がわりの手土産になり色んな企業のカレンダーをもらうようになった。年々その数も増え買うことは無かった。勿論、本屋さんはじめ色んなところで素敵なカレンダーも売ってはいた。それが近年、頂ける数が段々と少なくなってきていた。現役を離れたこともあるが配布しなくなった企業も多くなったようだ。とうとう今年はついに買うことになった。ある意味、カレンダーに解放された気分である。いくら貧しくてもカレンダーの1〜2部くらい買える。やっと「もらい物印」の企業ロゴから解放され好きなカレンダーが選べる。
 私が若い頃ラジオのニュースで、販売される「マッチ」より無償配布されている方が多くなったと聞いたことがある。確かにその頃、どこやそこやでマッチは配っていたのでお金を出して買うことはほぼ無かった(子供の頃のお使いの中に「徳用マッチ」の買い物があったなぁ)そのうち、その「マッチ」自体も100円ライターの出現でほぼ見かけなくなった。そのライターも販促品の代名詞のようになり買うことも無くなったが、時が過ぎて私を含めて周りに喫煙者がいなくなりライター自体も目にすることが無くなった。
 マッチ、ライター、カレンダー、手帳、手拭いと企業の宣伝のために配布されていたものがなくなってきた。日常生活に必要なものが変わっていくのもあるが、企業も費用対効果の見直しもあるのだろう。そう考えると次に消えていくのはなんだろう?

これだけのカモが生きていくにはそれなりの食べ物があるってことだろう。それは川が健康なのかなぁ

僕らはみんな生きている

20世紀末、やたらノストラダムスの予言なるものが流行り、お調子者の私はその手の本やTVの特集を喜んで見ていたものだ。その時「自分が死ぬのと地球が滅亡するのとはどう違うのだろう?」と思ったことがある。やがて、生物科学をきちんと学ぶ機会があり、無知だった私が生命の発生の仕組みを知ってくると、この地球に生命が生まれ維持されていること自体が奇跡であり、生きていることの「勿体なさ」を知る。そしてあらゆる命を乗せている地球が愛おしくなったもんだ。
 ロシアによるウクライナ侵略が始まり、ロシア極悪論が昂まったおりプーチン氏曰く「ロシアがない世界など必要あるか?」と逆ギレしたことがあった。つまりかっての私の発想と同じだ。独裁者は自国、他国の何十万の命が失われようと成し遂げなければならないものがあると言うが、どういう生き方をしてきたら命より重要なものに行き着くのだろう。

志賀海神社から博多湾を望む。 少し前まではこの神社は正月といえどガラガラだったのに、今では大混雑している。ここだけに限らず近年神社はどこも超満員。なぜ?

グライダー

定年をすぎ年金生活者となり他に収入源はない。
過去の預金を取り崩して生きていくしかないが、その様はまるでプロペラを持たないグライダーのようである。
つまり降下を始めた位置から着地点の位置まで滑空するのみ。高い位置から飛び出せば良いが、低い位置から飛び出すと悲惨な目にあう。一時期、政府はその位置を2000万円という目安を投じたが、気に入らなかった人も多かったようである。気に入ろうが気に入らなかろうが実際、持っている蓄えで無収入生活に突入しなければならない。たとえある程度準備をしていても年金生活に突入した前には想定していなかったアクシデントもあれば想定外の物価上昇もある。それでもまだ爪に火を灯し草の根を食べるところまでは堕ちてはいない。頑張りましょう
 グライダーは別に金銭だけにとどまらない。文化的にも同様である。時間ができたので趣味を始めようとしてもお金の問題もさることながら一番重要なことはスキルである。現役時代から趣味を持っておられる方々は「待ってました」とそれに没頭して有意義な老後を送れば良い。それこそ高い位置からの滑空だ。全く無趣味で生きてきて老後にできることを探しても、大したものは見つからない。最悪なのは会社の金でやってきた接待ゴルフや釣りを自分の趣味と勘違いすることだ。老後は隣の街に行くことさえ自腹だ。金のかかる趣味を続けたければ仕事をやり続けなければならない。
 若い頃からギターをちょろちょろとやっていた。努力が嫌いな私は練習しない理由に「時間がない」としていた。今は有り余る時間とたくさんのB級ギターに囲まれている。もう上達することもなく私の趣味は低空飛行のまま終わりそうである。

福岡市近郊の人間なら博多に出かけた際には必ずお世話になった「ナイルカレー」、近くのスーパーで売っていたので懐かしくて買ってしまった。味は????。思い出は心にしまっておくものだ

もう君たちだけじゃないんだよ

我が家はまだ新聞を取っている
その地方紙に時折「国防を考える」というコラムがある。最近、日本周辺の緊張を高めているC国やNK国に対して我が国の防衛力は大丈夫か?と言った内容ではなく、やれオスプレイの安全性がとか基地の周辺の迷惑話であったりとかの軍事力に批判的な記事である。確かに国家権力の監視役も新聞の務めかもしれないが、この論調は私が新聞を読み始めた55年体制の頃から変わっていない。まぁこれがこの新聞社のスタンスであるから仕方がない。妻が活字が大好きで毎朝新聞を読むことが楽しみのひとつなので購読しているが、この新聞の左翼的傾向には夫婦してうんざりしている。私も斜め読みくらいはするが、ニュース的なものはNHKの定時ニュースとインターネットから得ている。地方紙は、即時性が無いし世界的な話題は別の通信社から得ているようで得意ではなさそうだ。その代わり地方紙ならではの地元の話題は新聞が一番得やすい。30歳代の娘は新聞は必要ないと言うがインターネットだけだとエコー現象の方が怖いとも思う。これからも新聞は無くならないとは思うが昔ほど依存していない。TVや新聞の主観まみれの報道もさることながらむしろ「恣意的に報道しない」と言う方が悪質な世論誘導の一つだと思っている。彼らのスタンスも疑ってかからねばならない。今までTVや新聞では報道されなかったことをインターネットのおかげで知ることができる。既存のマスメディアだけに囲い込まれることなく自由に情報にアクセスできるようにことは大きい。特にTV時代はピークを過ぎたなぁと思う。

私はメロンより瓜が好きだ。
年をとると幼い頃に親しんだものに戻っていく。最近その傾向が強くなる。

オリンピック、ダビンチが怒っているよ

近々オリンピックがあるらしいとは知ってはいたが、週末に開会式があったので見ていた。この開会式は色々物議を醸しているらしい。自由主義の最先端を自認してるフランスらしい「ぶっ飛んだ」演出だった。これをうまく受け入れられないのは自分の年齢のためかと思ったが同じように感じる人も多いらしい。
 もともとLGBTには不健康さを感じているが、これも生まれつきの個性ですと言われたら(そうかぁ・・・だったらしょうがないね)くらいのものだった。今回、分かったのはLGBTの自由というのはことさら性的アピールをする自由なのかと益々関わりたく無くなった。なぜオリンピックでことさらLGBTの人たちの自由をアピールしなければならなかったのか?むしろ我々ノーマルな人種が常識に囚われた「非自由人」と言わんばかりの上から目線である。これが欧米人のいわゆる「意識高い系」の源泉か?
 これが自由主義の行き着く先といえば(なんだかなぁ)と思ってしまう。程よい自由主義世界にとどまることは不可能なのだろう。ロシア、中国などの権威主義の国から見れば「見ろよ、自由主義国家の退廃ぶり。あんな国家になりたいか?」と国民に訴える機会を与えるようなものだろう。
 日本人の大切な天皇や皇室を「表現の自由」という名目で蔑ろにした「自称芸術家」を放置しなければならない社会、そんな輩に表現の場を与える自治体。自由主義国家というのもストレスが溜まるもんだ。

夏の朝に短い間だけに咲く朝顔
我々も宇宙時間で言えばごく僅かな瞬間を生きているだけだ。その中で多様な生き方がある。名も知れず路上で息たえる同輩もいれば、何十万人も戦場に送る独裁者も同年代である。この地球に同じ時に生まれたが、何一つ共有するものがないままそれぞれの咲き方をして枯れていくのである。

俺たちと一緒じゃ困る

私は会社員を30年間ほどやった。
時代は昭和から平成へ、まだ若く血気盛んな私は各地に散らばった同じ事業部の同僚に声をかけ、年に一度集まって酒でも飲んで盛りあがろうと言うことを始めた。その際、土建屋さんや田舎の爺さんたちのような「品のない宴会」をやってみようと言うことになった。仕事はなかなかハードな時代だったし同僚は同志みたいなものであった。実際に土建屋さんがそんな宴会をしているのかは知らなかったが、当時の温泉街にはそういう需要に応えるべく環境が整っていた。(そう言う場を盛り上げてくれる女性たちをスーパーコンパニオンと呼んでいた)かくして宴会翌日にはみんな上機嫌で来年の再会を約束して別れたものだ。
 今回、自民党の若手議員が研修会後の懇親会で行ったと言われている「下品な宴会」は我々が行っていた昭和の宴会に近いものであったろう。我々と違うのは、議員というものは選挙民からの請託を受けた特別な人たちであることだ。幼い頃から周囲から親の地盤、看板を引き継ぐことを期待され、当然のように議員になった人は何万票の重さが判らないのかもしれない。
 最も恐ろしいのは、そういう特別の立場にある人たちが100人単位でC 国へ視察や会議名目でわたり、果たして何人が無事に買収やハニートラップを跳ね除けて無事に帰国できるのであろうか?最近、権力中枢にさえその影響を感じることがある。そしてなぜかそのことを報道しない大手マスコミにも不思議さを感じるこの頃である。