なんだかなぁ

三歳下の妻が年金をもらえるようになった頃の話。やっとこれで二人の年金が出揃うと喜んだが、すかさず私の年金の減額通知がきた。つまりなんのことはない規定に則り分割されただけのことであった。それでも妻は自分の名義の年金がもらえることに密かに喜んでいたようである。まぁそれで嬉しいならそれでよしだ。
ところが、当然のことながら生活費を払い出してる私の口座の残金が早めに心細くなる。いつもなら貯金を切り崩したりして補填をしなければならないが、妻にいうと「じゃ私の口座から出しておくね」と言った
 ????「私の口座」???では俺の口座はなんなんだ。私は妻の口座の暗証番号もパスワードも知らない。私の口座の通帳は妻が持っている。

うーん

最後の分かれ道かもしれない

我慢のことを自主規制と言う
誰でもが未来のために今日の何かを我慢することは常だろう。幼少の頃から意志薄弱だった私のような者でもたくさん我慢してきた。
あしたから試験だからテレビはここまでにしようとか、生活が苦しくなるから欲しいものをあきらめようとか、体に悪いからお酒はほどほどにしようとか、年代に応じて我慢するものは変わって言ったがいつも何かしらの我慢はつきものであった。
 ところが命に関わるような病気を経験し次に再発したら無事で帰還する可能性は低い。そうなると私の選択肢は「思い残すことのないように全ての我慢から自らの解放する」あるいは「少しでも再発のリスクを下げるためにさらに自主規制を強める」と言う選択肢に迷うことになる。ここで人間の本性が現れる気がする。小心者の私は後者をとっている。

  • 博多の春の風物詩「博多どんたく港まつり」最近は派手なパレードがどんたくと思われがちだが元々三味線などの鳴り物とお囃子で商店を周り景気付けしていったあと、こんな演舞場でドンタク隊が演舞をお披露するのが本来の姿。歳をとると子どもの頃におじさんの店に来ていたドンタク隊が懐かしい。