これも若い時の話だ。
仕事の最中、得意先との会話の中で彼が「俺が若い時に先輩から言われたのは、商売は貧乏人相手にやれとのことだ」と言い出した。氏の言うところによると「貧乏人は無駄使いをする。金持ちは財布の紐が固い」とのことらしい。私が貧相でお金のない雰囲気を醸し出していたのかは分からないが、耳の痛い話であった。確かに貧乏人気質の私は衝動で物を買ったりついでで物を買ったりする。今般、百円ショップが盛況なのも理解できる。お客が必要なものだけを買っていれば成り立たない商売だ。今にして思えば人生の先輩から貴重な教訓をいただいていたのだ。
当時、独身の私の部屋には何故買ったのか分からないものがゴロゴロしていた。不急不要の買い物が生活を苦しめたりしていた。流石に結婚し可処分所得が激減してからはそんなことはできなくなったが….。人生の終盤にきて少しばかり貯まった小遣いを数えて、何か欲しかったものを買おうとしても終活の最中では今度は欲しいものが見つからない。田舎者で貧乏家庭出身の私にはカタチの無い芸術やボランティアにお金を使う意味がわからない。ウクライナ支援に一万円寄付したことをいつまでも覚えているような小さな人間だ。演歌歌手を追いかけたり、ギャンブルにハマるほど熱い人間でもない。
ここで私はふと気がついた。本当の貧乏はお金がないことではない。本当に好きなものや欲しいものに出会えなかったことだ。今頃、もっと若い時に身につけていなければならないことがあることを知った。
小心者につき
最近、何度か就寝中に金縛りに遭うことがあった。若い頃にも何度かあり、その時に周りの人に聞いたら経験者もいたし「何それ?」という人もいた。不思議なことに明るい下では起きず暗くして寝ている時に起こるようだ。諸説あるがいまだに理由はわからない。
金縛りで困るのは、体が動かないし声も出ないのに意識だけがあるということである。必死にもがいてしばらくして解放される。オカルトめいた話には興味がないが、ふと「もし死んで肉体が無くなった後もこんなふうに意識が残ったら恐ろしい」と思った。無間地獄があるとしたらこんなことか?
人間のタイプとして死後の世界があるかも知れないと思う人とそんなもの無いとキッパリという人がいる。死後の世界など合理的に考えてもあり得ないと思うのだが、それでも幼い頃から大人になるまで、死後は「生前の功罪を裁かれる」とか「先に無くなった人やペットに会える」とか言う会話は何度となく交わしてきた。なので多くの人は信じる信じないは別に「あの世」を考えたことはあるのでないか。むしろ「死ねばそれで終わり。何もない」と躊躇なく言い切れる人が羨ましくもある。「生命は永遠なのか?」と言う問いは老いを重ねればどうしても考えてしまうテーマである。私の現在の妥協案としては「死ねば生命は肉体を離れ記憶も全て失い、天(宇宙)に戻りダークマターの一つとなり、次の出番を待つ」としている。
冒頭のような存在、地縛霊のような「無間地獄」は人間が作り出した想像上の世界だと思いたい。と言うことはやはり死後の世界をなんとなく恐れているのだな