オリンピック、ダビンチが怒っているよ

近々オリンピックがあるらしいとは知ってはいたが、週末に開会式があったので見ていた。この開会式は色々物議を醸しているらしい。自由主義の最先端を自認してるフランスらしい「ぶっ飛んだ」演出だった。これをうまく受け入れられないのは自分の年齢のためかと思ったが同じように感じる人も多いらしい。
 もともとLGBTには不健康さを感じているが、これも生まれつきの個性ですと言われたら(そうかぁ・・・だったらしょうがないね)くらいのものだった。今回、分かったのはLGBTの自由というのはことさら性的アピールをする自由なのかと益々関わりたく無くなった。なぜオリンピックでことさらLGBTの人たちの自由をアピールしなければならなかったのか?むしろ我々ノーマルな人種が常識に囚われた「非自由人」と言わんばかりの上から目線である。これが欧米人のいわゆる「意識高い系」の源泉か?
 これが自由主義の行き着く先といえば(なんだかなぁ)と思ってしまう。程よい自由主義世界にとどまることは不可能なのだろう。ロシア、中国などの権威主義の国から見れば「見ろよ、自由主義国家の退廃ぶり。あんな国家になりたいか?」と国民に訴える機会を与えるようなものだろう。
 日本人の大切な天皇や皇室を「表現の自由」という名目で蔑ろにした「自称芸術家」を放置しなければならない社会、そんな輩に表現の場を与える自治体。自由主義国家というのもストレスが溜まるもんだ。

夏の朝に短い間だけに咲く朝顔
我々も宇宙時間で言えばごく僅かな瞬間を生きているだけだ。その中で多様な生き方がある。名も知れず路上で息たえる同輩もいれば、何十万人も戦場に送る独裁者も同年代である。この地球に同じ時に生まれたが、何一つ共有するものがないままそれぞれの咲き方をして枯れていくのである。