らっきょうの瓶

 退職して役立たずの男だが、たまには家事の手伝いをするようになった。難しいことはできないので、もっぱら多いのは食器の後片付けだ。
 先日、私だけしか食べない好物のらっきょうがなくなり、洗い物の際にこの瓶も洗った。硝子びんは綺麗になったが、樹脂製の蓋にこびりついた強烈な匂いは取れない。なんの根拠もないがクエン酸でも洗ってみたが、無駄なようだ。妻は私の奮闘を鼻で笑い「この容器はもうらっきょう以外には使わないからいいの!」と宣告された。つまり本来何にでも使い回しができるはずの前途有望なこの洒落た硝子びんは、これからも私専用のらっきょうの瓶として存在していくしかないらしい。
 さて、退職し競争社会から足を洗った私は今後は欲や浅知恵に振舞わされる必要はなくなった。これからは聖人君子の様な日々を過ごすだろう。ところが分化し終えた最終形態の老人はらっきょうの強烈な匂いがまとわりついた蓋の様に、別の人間に生まれ変わることはできない様だ。

自給自足とまではいかないまでも、ささやかな自給農産物・プチトマト